ぼくの趣味の一つは将棋ですが、将棋を指す人でも棋士をギシと言う人がいる。ぼく自身も、天才棋士羽生善治さんとは十数年のお付き合いになりますが、最初に活字だけで出会ったときにはハニュウさんかと思っていた。埴生の宿とか羽生市がありますからね。
この間乗ったタクシーの運転手氏が、近ごろの子供はガイチカされていると言うんです。外地化?外国の子供のようになってきた?なるほど、たしかにそういう面はある。
ところが話を聞いているうちに、羽田と気づきました。画一化されている、でした。
弁護士なる人が結婚式で若き新郎新婦の門出を祝って、ジュンプウマンポの人生を云々とうっしゃる。順風満帆でなく、たぶん順風漫歩の人生を進めたのでしょう。追い風に乗ってそぞろ歩きをするのがめでたい人生だというわけです。しかし順風漫歩の人生を若い新婚夫婦が描くとしたら、ちとおめでたい。
将棋虽然是我的兴趣之一,但跟有些棋士会把“棋士(shi)”念成“棋si”一样,我十几年第一次遇见天才棋士羽生善治的时候,也把他的名字给错念成另一个读音,大概因为我之前只知道“温馨之家”和“羽生市”的读音。
【“羽生”这个姓氏有两个读法,羽生善治的“羽生”念作“はぶ ”,羽生结弦的“羽生”念作“はにゅう”,原文中被翻译为温馨之家的“埴生の宿”中的“埴生”、还有羽生市的“羽生”都念“はにゅう”。】
在写这本书的时候,有一次坐出租车跟司机闲聊,司机说起最近的小孩子都有些西化(比较常用外来词)。西方化?是说话的方式夹杂了些许外来词汇吗?这么一说,好像的确是有这种迹象。
在听见这话的时候,忽然想起“羽生”事件,忽然觉得,语言大概是被同化了吧。
当律师的人在结婚典礼上祝福新郎新娘的时候,总是会说,希望你们一身幸福。不是一生幸福,而是一身幸福,大概是希望两个人能够一身幸福地继续生活。是希望两位新人,能够带着满满一身的幸福,一起迎接接下来的美好人生的美好祝愿。不过,相对于“一身幸福”,“一生幸福”会显得更庄重诚挚一些。
【原文是“順風満帆”和“順風漫歩”两个读音相同的单词,这里采用了shen和sheng的读音,后面相对应的四字词解释也不做直译,而是做了意译。】